2013年2月、榎トレンチ一般公開で現地の看板の文章を引用

立川断層 ”榎トレンチ”にようこそ

 この真如苑プロジェクト用地内で、文部科学省『立川断層帯の重点的調査観測・研究』の一環として、立川断層を対象としたトレンチ調査を行っています。
 立川断層は、首都圏にあってごく近い将来に活動の恐れのある活断層として注視されています(政府地震調査委員会、2003:2011)が、その活動履歴はもとより活断層としての性格についても未だ不明な点が多く、将来の活動性を制度高く評価するために急ぎ基礎資料を整える必要性があります。
 本調査では、立川断層が繰り返し活動したことで形成された断層構造をより広く、より掘り出し、その観察を通して活動特性の詳細を究明しようとしています。
 東京大学地震研究所 調査担当:㈱クレアリア
 背景はラジコンヘリ空撮による榎トレンチ全景写真(©国士舘大学地理学教室)

①立川断層の概要
 立川断層は、多摩西部にあって北東-南西方向にほぼ一直線状に走る長さ20km余の活断層です。北西延長部に存する名栗断層を含めた立川断層帯(総延長約34km)の主部を占め、北は阿須山丘陵の下仁田峠付近から、霞川・金子台を横切り、狭山丘陵西端・箱根ヶ崎、三ツ木・砂川・旧立川飛行場、谷保・矢川付近を経て多摩川沖積低地まで延びています。
 1970年代にその存在が明らかにされ(松田・羽田野、1975;松田ほか、1975)、初期の調査研究により北東側を隆起させる縦ずれ断層(逆断層)とみなされるようになりました(山崎、1978)。形成期を異にする地形群を崖向きを同じくして横断する一連の小崖地形の存在が、立川断層の手ががかりとなり、その崖地形の形態が、膨らみを伴い撓曲崖状をなすことがこれを逆断層とする主な根拠とされてきました。
 以後このような活断層観を概ね基本として調査研究が進められてきました(東京都、1998、1999、2000なで)が、制約の多い市街地域での調査ゆえ著しく進展するには至りませんでした。そのような中で、政府地震調査委員会(2003)は、立川断層の活動性についての評価作業を試み、その将来の活動について「①将来マグニチュード7.4程度の地震が発生すると推定され、②その際に北東側が相対的に2-3m高まる撓みや段差が生じる可能性がある。③今後30年の間に地震が発生する可能性は、我が国の活断層の中ではやや高いグループに属する。」としました。さらに地震調査委員会(2011)は2011年東北地方太平洋沖地震の発生に関連して次の大地震発生確率が高まった活断層の一つとして立川断層の名をあげています。
 立川断層の将来の活動性を予測するための基礎情報は極めて貧弱で、未だ全く整っていません。立川断層の断層型の確定、変位累積過程の定量的把握、最新活動をふくむ活動履歴の明確化などにつながる豊富で質の高い基礎資料の収集を急ぐことが今求められています。

文献
松田博幸・羽田野誠一(1975):関東平野西辺の線状構造、日本地学学会予稿集、8、76-77.
松田時彦・山崎晴雄・金子史朗(1975):西関東の活断層、東京直下型地震に関する調査(その2)、東京都防災会議、75-105
山崎晴雄(1978):立川断層とその第四紀後期の運動、第四紀研究、16、231-246
東京都(1998):立川断層(帯)に関する調査、第2回活断層調査成果報告会予稿集、科学技術庁、335-344
東京都(1999):立川断層(帯)に関する調査、第3回活断層調査成果報告会予稿集、科学技術庁、59-68
東京都(2000):立川断層(帯)に関する調査、第4回活断層調査成果報告会予稿集、科学技術庁、59-68

②本調査地について
 この調査地・真如苑プロジェクト用地は、立川断層の中央部、立川断層の動きがもっとも大きいとされてきた場所に位置し、広大で、立川断層をまたいで広がっていますので、立川断層の存在とその諸性格を捉える上でまたとない好条件下にあります。
 本調査は、昭和30年代に日産村山工場用地として造成された土地の一部ですので、ここでは本来の地形は失われています。しかし、米軍が撮影した古い空中写真が残っています。これから、「この地域は畑地の広がる平坦地(立川段丘の段丘面)ですが、この平坦地面は東部と西部で高さを違え、両者を分ける西向きの崖(黄色部)が、真如苑プロジェクト用地中程にあって北西から南東へと横切り、その麓に沿って旧残堀川が谷底低地(緑色部)をつくって流れていた」ことがわかります。
 この崖地形は、比高3-4mながら、幅が100mにも達する特異な形態をもち、狭山丘陵西端から連続するものの続きに当たりますので、活断層である立川断層の認定に当たりその重要な手がかりとして注目された小崖地形の一部であり、立川断層の活動で大地面が上下に食い違って生じた変動崖とされてきたものに違いありません。そこで榎トレンチはこれを横切るように掘削されました。

③榎トレンチの特徴
 本トレンチは、長さ250m、幅30m、深さ10mの規模をもっています。トレンチ法は、有効な活断層の活動履歴調査法として日本では1970年末から採用され、成果を上げてきました。この目的で掘削されるトレンチとしては、長さ20m前後、深さ数m以内のものが一般的でしたので、榎トレンチは、これまでに類を見ない巨大なものといえます。
 本調査地では、立川断層は、その東側に幅100m余に及ぶ膨らみをともなった撓曲崖をつくって存在するとされてきました。主断層帯のみならず周辺の変形構造をも対象し、一連の切断面を作り、それらを同一の視野において観察することを狙ってこの巨大なトレンチが掘削されました。

④立川礫層について
 トレンチ壁面に広く露出している玉石混じりの砂利層は、立川礫層と呼ばれている河成層です。今から5~3万年前後(最終氷期の中頃)に主として多摩川が形成した扇状地性堆積物で、調査地付近に広がる平坦な台地面(立川段丘の段丘面)の構成層とされています。トレンチの中程から東においては、本来厚さ3m程度の降下火山灰層(立川ローム層)がこれを覆って存在しましたが、造成工事ですべてはぎ取られましたので、ここでは見ることができません。
 トレンチの中~東部では、壁面上端付近まで立川礫層で占められています。トレンチ西部では、立川ローム層(看板⑥)が上部に露出していますので、立川礫層の上面高度はトレンチの中程あたりを境に違っています。従来の仮説によれば、この上面高度差は、立川断層による食い違いを意味し、東側が撓曲しつつ持ち上がって生じたことになります。
 立川礫層では、粗粒物の連なり、細流物層、削り込み構造などから、強い洪水流とその氾濫により繰り返し、場所を違えて生じた、たくさんの堆積物が重なり合っています。このような立川礫層の初生的な堆積構造には、ごく一部を除き、ほとんど乱れがないように思われ、トレンチ中~東部で立川礫層が撓曲しつつもち上がったことを示す変形構造も確認するに至っていません。
⑤立川断層の主断層帯
 北側壁面の下方で、立川礫層中に縦長の白い粘土質塊が上下に並んでいます。玉石などと同様に堆積物のひとつと見なせる側面をもっていますが、壊れやすい粘土塊が大きいまま、しかもその長軸をたてたまま他のの礫とともに堆積するのは現実には難しいと思え、そのようなものが複数あって礫層中に縦帯状に並んで存在することは、不思議で、初生的堆積構造と断じきることもできません。
 この白色粘土塊が列状をなしている付近では、立川礫層の堆積構造に乱れが生じています。重なり合う堆積物を上下に貫いて延びる幅狭い砂礫帯がいくつも認められます。このような砂礫帯では、礫の並びに周辺の初生的堆積構造とは異なる方向性が生じており、粉砕礫も散見されますので、このような構造は、断層変位で生じた断裂帯と考えられます。付近には堆積物の異常傾斜構造も発達しています。
 このように断層が集中する場所は、長さ250mもあるN面でここだけですので、これが立川断層の主断層帯と考えれれます。

⑥立川ローム層
 N面の最上部に露出しています褐色の層は、立川ローム層と呼ばれている降下火山灰層です。調査地は全域この程度の厚さをもつ立川ローム層で覆われていたと考えられます。立川ローム層は今から3~1万年前(最終氷期の後期)に堆積したもので、その主な供給源は富士・箱根火山とされています。
 この露頭では、立川ローム層と立川礫層との境界面が東に向かって高まっています。N面では、これより西方2ヶ所で、立川ローム層が露出していますが、それぞれにおける立川礫層上限の高さにはほとんど違いはありません。一方、立川断層の主断層帯としたものが露出した場所のすぐ東側では、トレンチ壁面の上端部まで立川礫層で占められていますので、立川礫層の上面はこの間で、東に向かって高くなるように変化していると見なせます。これは、造成工事前に存在した西向き低崖地形の位置と形状に関係した重要な情報といえます。

⑦旧残堀川の河床堆積物
 壁面最上部に露出する黒っぽい地層が旧残堀川の河床堆積物です。立川ローム層を削剥してその上に堆積しています。総じて腐植質の泥層ですが、基底部に礫をともなっています。
 先にトレンチN面中程の少し西側あたりで立川礫層の上面高度が東上がりに変化することを指摘しましたが、S面でも断片的に観察できる立川礫層上面位置を連ねることによって同様な立川礫層が作る小崖の西側にあって、立川礫層上面の高度が高くなるに従って薄くなり、尖滅しています。このことは、立川ローム層形成直後にすでに存した小崖地形に、旧残堀川は支配されて生じ、以後その麓に位置し続けてきたことを表しています。旧残堀川の河床堆積物は、詳しく見ると層相の違いからいくつかの層に区分できそうです。堆積環境の不連続的変化を幾度なく経験しているとすると、その変化を引き起こした原因として立川断層の活動が関わっている可能性も考えられ、興味深い存在となります。

⑧再び立川断層の主断層帯
 先に⑤地点からN面下部に露出する立川断層の主断層帯を見ましたが、あれとほぼ同じ内容をもった断層集中帯が、対面するS面においても観察できます。縦長の白い粘土塊が上下に並んでいることや重なり合う堆積物を断ち切る構造がいくつも発達し、それらが幅数m余間に集中する様子は、S面で観察されたものと極めてよく似ています。250mにわたるS面の中で、このような異常構造が生じている場所は、やはり唯一ここだけであります。N面のものとごく近い位置に露出していますので、立川断層の主断層帯の続きと見なしてよいでしょう。
 S面では、断層で食い違ってできた構造を削剥してその上に新しい堆積物が生じたと見なせる不整合構造が、層位を違えていくつも認められます。この事実は、立川断層がこの位置で立川礫層堆積中に断層変位を繰り返したことを示していて極めて重要です。一部の断層は、人口攪乱層の直下にまで達しています。
 本トレンチで見いだされた断層は、垂直に近いものばかりです。個々の断層はもとよりそれらが集まった断層帯そのものも垂直に近いように思われます。S面の露出部からN面のそれを見通した方向はほぼ南北となっています。
 この顕著な断層帯は、かつて旧残堀川沿いの左側に存在した小崖地形に基部付近にこれが位置しているようには見えません。また、小崖は北西-南東方向に延びていたはずですから、走向も、崖のそれとは斜交しているようです。

⑨ここまでの総括
 1.この榎トレンチにおいて、立川礫層を変位させている地質断層の存在を確認しました。
 2.長さ250mという長大なトレンチ内で、ごく狭い範囲に限られて唯一存在する地質断層帯であり、従来推定されてきた立川断層線付近に位置し、活動を繰り返してきた形跡が認められるので、これが立川断層の露頭にあたると考えます。
 3.しかし、見いだされた断層はほぼ垂直で、これがむしろ横ずれ断層であることを示唆しています。走向も立川断層線とは斜交しています。露出した断層は、このように定着した立川断層像とは齟齬する側面をもっています。
 4.さらに立川断層が作った変動崖とされる部位を切断して高さ10mにおよぶ構成層の露頭を出現させたにもかかわらず、そこでは崖の形成・成長とともに形成されたはず撓曲変形構造を見いだすことができませんでした。
 5.これまでの立川断層の活動像は、これを北東側を隆起させる縦ずれ断層(逆断層)とみて組み立てられてきましたが、実態は必ずしもそれに見合っていないことが明らかになったように思います。
 6.調査資料を見直して以上の1~5を再点検するとともに、以上を踏まえて活動特性の諸側面を改めて追求し、今後の課題の明確化に努める所存です。

2013年2月 調査担当一同
(東京大学地震研究所・法政大学・国士舘大学・首都大学東京・信州大学)